きみの名は

枇杷の実の色、淡い橙ですし、シャーベットオレンジですが、でも違うんじゃないの、だってみかんじゃない、枇杷よ?とおもって、詩にあたりました。

天地梅雨ともしび色の枇杷抱へ
野澤節子

皿の枇杷つぶらつぶらの灯なりけり
和田芳恵

一人居のともしび色の枇杷食べて
細見綾子

ですって。きれいねえ。
このような、薄暗い肌寒い季節にぽつりと点った灯り…みたいな見方をしたことがなかったので、軽くどよめきました。枇杷って、木も葉も実も、ぜんぶの色とかたちがすばらしくチャーミングで、見かけるとにっこりしちゃうんですけども、なんだろう、もっと、がさつ? だって目についた木からてきとうにもいだり、カラスが食い散らかした残骸が道端に散見されたり、あくまでワイルドな存在なのです。もちろん俳人たちだって、おなかがくちくなれば種でかすぎワロスなどとひとりごちる可能性はある。ないか。

枇杷の種こつんころりと独りかな
角川照子

ないか~!そういうときもあるよね…
冒頭にあげた野澤さんのいまじぶんの句ではこちらがすきです。

闇よりも暁くるさびしさ水無月
野澤節子

 
さて、こちらは山頭火

雨となつた枇杷の実の青い汐風
夕あかり枇杷の実のうれて鈴なり
種田山頭火

五月と六月に詠まれた句ですって。「写生」とはよくいったものだなあとおもいました。
 
速水御舟『翠苔緑芝(右隻)』山種美術館